資産500万円セミリタイア生活

2015年、41歳の時に資産526万円でセミリタイアしました。旧進撃の無職&セミリタイア失敗!

自分史

2001年とそれまでのまとめ(整理)



今は2022年なんだけど2001年までのことを整理する為に振り返って書いていこうと思います。

【年表】
1995年1月 阪神・淡路大震災
1995年3月 地下鉄サリン事件
1997年 酒鬼薔薇事件
1998年 松坂春夏連覇
1998年 フランスワールドカップ ペルージャ中田移籍
1999年 ダイエーホークス初優勝
2000年5月 西鉄バスジャック
2001年6月 宅間の付属池田小事件 


専門学校の頃に阪神淡路の震災がありました。住んでいる場所が和歌山なので被害は全くなかったんだけど。。。あの日は、なぜか朝まで寝れずに起きてたんだよな。そしたら突き上げるように床が動いたんですよね。上にふっとばされるとまではいかないけどちょっと宙に浮いたような感じ。。。それでも震度4くらいだったと思うので震源地に近いところはもっと酷かったとは思う。朝になってテレビで震災のことがやっててそのまま学校に行こうとして駅までいったんだけど動いてないということでそのまま帰宅して一日中テレビを見てたって感じやったと思う。

地下鉄サリン事件、その前にワイドショーで話題になっていた頃は高校生で帰宅部でもあったので学校から帰ってくるとワイドショーをよく見ていたのでよく知っていました。サリン事件の時、その後のワイドショーの展開とか。。。どうだろ?そこまで熱心に見てたか?と言われたらどうだったのかな?専門学校生だったのでワイドショーを見るというような生活でもなかったですし。。。

でも小林よしのり氏のゴーマニズム宣言を読んでたのでそこそこは見てたようには思う。その後の薬害エイズ問題も。。。高校3年生の頃から「誠のサイキック青年団」というラジオを聞いていてサイキッカーといわれる人間でした。このあたりの学生の頃は私は何をしていた?と言われたらサイキックと競馬くらいしかなかったように思う。競馬もちょうど高校3年生から働くまでハマっていましたしね。(辞めた原因は土日勤務の仕事だったしPATの抽選にも当たらなかった為、しだいに興味なくなったんですよね。)

1997年 酒鬼薔薇事件
詳しくはあんまり知らない。働きだして仕事におわれていて世間のニュースなんて興味がなかった。でもフライデーに顔写真が掲載された時に上司がそれを見たらしく「お前に似ているなー」って言ってきたのだけは覚えている。その頃から職場で陰湿なやつって評価だったんだと思う。まじで働いていた時はしんどかった。スーパーで働いていたんだけど、開店前の品出しの時間あるやん。その時に店内に有線が流れてたんよね。中谷美紀の「砂の果実」、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」はよく覚えている。今でもこの2曲を聞くとあの頃のことが甦ってきて泣けてくる。

あと日曜日に仕事帰ってから一人で家で飯食べるんだけど、その時に「ASAYAN」をよく見てて平家みちよとかモーニング娘。のオーディションを疲れながら見てた記憶がある。一週間これしか楽しみがなかった感じでした。(モーニング娘。はここからハマって4期加入あたりまでは見ていたと思う。たぶんASAYANで取り上げなくなって以降は見なくなったって感じかなと)

1998年 松坂大輔 春夏連覇

私が最後にちゃんとみた高校野球だと思う。この夏の大会はよく覚えてる。

1998年 フランスワールドカップ ペルージャ中田移籍

これもサッカーにそこまで興味はなかったんだけど、この頃、2社目の仕事をしていて先輩がサッカー好きだった為に見るようにしたんだと思う。とりあえず中田さんの夜中にやっている試合というかダイジェストというかそれだけはずっとボローニャあたりまでは見てたと思う。活躍していると見ちゃうよね。

1999年 ダイエーホークス初優勝
野球はホークスファンなんですよ。元々小さい時から親の影響で巨人ファンだったんやけど、どのあたりかな。FAと逆指名で1995年あたりにはなんだかなーって思って興味がなくなったと思う。パ・リーグはホークスを応援していたので完全にホークスファンになっていたんよね。しかし2003年阪神を下して日本一が私の中ではピークで、2004年には1位になったもののプレーオフで敗退して2005年にソフトバンクになったあたりで。。。興味なくなったみたいな感じです。プロ野球再編問題も結局あんまり見てなかったと思う。もう興味失ってたのかな。その後、メジャーを除くと大谷翔平選手の2年目までプロ野球の記憶はないんよね。

2000年5月 西鉄バスジャック
この事件のときはまだギリ働いていたと思う。2chの存在はこの事件で知ったわけだけど。。。いかがわしい掲示板って印象やったかな。そんでもって退職して1年くらいひきこもることになるんだけど。。。退職と同時にノートパソコンのVAIOを購入してBIGLOBEと契約してインターネットにつなげる。(初インターネットです。)最初はメル友みたいなのが欲しくてやりとりみたいなことをしていたけど。。。そのうちチャットするようになってその面白さにハマった感じですかね。テレホーダイとテレチョイスに加入して午後11時から午前8時までチャットをするような生活へ。

私の中でインターネットデビューしてネットの住人になるとテレビへの興味がなくなり見る機会が極端に減っていき俗世間のニュースとか流行り物に疎くなっていく。モーニング娘。にしてもこのあたりで私の記憶が途切れてるんだよね。中澤裕子卒業が2001年4月みたいだから。。。全く記憶がない。ドラマもキムタクドラマでいうとビューティフルライフ(2000年)、HERO(2001年)。が最後かな。テレビに興味なくなると「誠のサイキック青年団」も聞かなくなる(ちなみに例の打ち切りは2009年)

2001年6月 宅間の付属池田小事件
宅間さんの事件だけは。。。あれ?この年やったっけ?って思い出いっぱいだ。私の中では加藤智大の秋葉原事件(2008年)に近いと思ってたんだけど。。。あんまり記憶にないのはなんでだろ?タイ旅行から帰ってきてるし小泉首相誕生フィーバーでかき消されたか?

2000年
私はというと仕事を辞めて親には資格をとる為に専門学校の講座を受けるといいながら家にこもるようになっていく。やることはほぼインターネットでチャット。それ以外のことは覚えてないってことは何もしてなかったってことかな。

2001年
仕事を辞めてから1年が近づき貯金も尽きてくる。正常を装ったひきこもりなので年金などの社会保険料も払ってたし家にもお金入れてた為に気づいたら尽きてたんよね。さすがにまずい!何かしなければと思いオフ会に出てみよう!ってことになる。そこでいろんなメンタル系サイトを見るようになる。その中で「リアルで不足しがちな『心の隙間』を補うサイト」という、ぱぴぷーたさんが運営するHPがあってそこのオフ会の日程が近かったので参加することになる。まあさんが運営する「対人恐怖症のページ」にも大規模オフ会があったのですが。。。さすがに参加人数40人とかで募集してたので。。。そちら怖くてやめた。

この頃、「籠城」、「リアルで不足しがちな『心の隙間』を補うサイト」、「木漏れ日の部屋?」、「対人恐怖のページ」、「癒やしの隠れ家」とかかが有名どころだったかな。「BLUE」は同時期だったか?「ひきこもり村」は時系列的に数年あとだったと思う。ちなみに調べてみたらBLUEのみ現存しておりました。

BLUE:http://bluemental.karou.jp/

ぱぴさんのサイトのオフ会に応募してそこから始まったって感じかな。情報と人ですかね。それまではただチャットで馴れ合ってもこちらは個人情報を開示するわけではないし心を開かないといいますか。。。上辺だけの付き合いみたいな感じやったんですよね。それが実際に会うと変わったというか。2ちゃんにしてもオフ会の中でそういう話が出てきてさ。私の中では危ないサイトって認識やったんやけど、違うよー。みたいな感じでそこからいろんなサイトを教えてもらっていくようになったり。。。自分も日記を書いて発信するようになったり。当然見てくれてる人は何人か私という存在を認識してくれるようになってなんか動き出したといいますか。。。2001年は2ちゃんの無職だめ板と独身男性板を中心にROMってましたかね。

どうなんだろうな。2002年5月に正社員を辞めてバイト生活に入るんだけど。。。その頃には確実に2ちゃんの無職だめ板の労働開放スレとかその手のスレがあってサイレント・テロはあったのかどうか覚えてないけど。。。すでに少ない年収でも生きていくみたいな感じのことは議論されてました。なので2001年時には仕事つらいと言いながらそういうスレを見てたような気がします。2001年時に、メンタル系のサイトには人生に疲れた人はいっぱいいましたし心療内科通っている人。。。そんな人ばっかりでした。みんなオフ会にいくと薬自慢とかしだすんですよ。100均で買ったお薬ケースを出しあって薬談義に花を咲かせていたのです。

あと携帯電話は仕事で必要なので1998年に使いはじめて2000年にIモードの携帯を買ったのかな。2001年だったかな?そんな感じです。

この頃流行ってたのが。。。
侍魂の先行者
ちゆ12歳 とかですかね。

ちなみに「リアルで不足しがちな『心の隙間』を補うサイト」は、掲示板と日記がメインサイトでそこで私も管理人さんの勧めで日記を書くことになりWEB日記デビューを飾ったわけです。数年前、知り合いの話では管理人のぱぴぷーたさんはベトナムで日本語教師の仕事をしていると言ってました。今はどうか知らんけど。【2022.8.30】

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2001年は私にとっては開眼した年



2001年って私にとって凄い年やったんですよ。新たな人生がはじまった。初めて自分の足で一歩を踏み出した。どういう言葉が妥当なのか分からんけど。。。とにかくここから今の私が始まったと思います。「マトリックス」という映画の中でネオが仮想現実社会ではなく現実社会にプラグを抜いて誕生するあんな感じといいますか。。。

2000年は社会からダメという烙印を押されて引きこもっておりました。引きこもってる時に過去の自分を冷静にふりかえってみると何の価値もない人間だということを悟りました。それで2001年にオフ会に出てweb日記を書き出してそこから世界が広がっていくわけなんだけど。。。



最後かもしれないだろ。
だから全部話しておきたいんだ。
(2001年にFF10発売)

今までは友達もいなかった為にカラオケとかもほとんどしたことがなく音楽にも元々興味がなかったのですがオフ会に出る為にカラオケで歌える曲を探したりレンタルCD屋さんでベスト盤とかを借りてきてPCに曲を入れて聞いたりあの頃は映画を月に何本は見よう!とかしてたと思う。その時に「ショーシャンクの空に」も見た記憶がある。今まで無意味に生きていたのを意味をもたせる?何か広げよう何か自分の世界を広げようとそういうことをしだした初年度だったと思います。初めてのことを意欲的にしていたのでこの頃はやっぱ長く感じるというか凝縮されているといいますか。。。これもこの年の出来事やったんや。あれもこの年の出来事やったんやってのが2001〜2004年で特に多いんですよね。

この年に東京でオフ会があって管理人さんにオフ会参加しますか?って聞かれたんですよね。東京のオフ会に参加なんかするわけないやん!って即答で答えたんですけど。。。その時に大阪から東京オフに参加した人が何人かいたんですよ。そのことに私は衝撃を受けました。フットワークが軽いというか。。。東京は遠い!という距離感を簡単に超えちゃう人たち。。。私とは感覚が全く違うんですよね。その頃までは私は修学旅行で東は長野県、西は広島県くらいしか行ったことがなくて一人だと東は京都市、西は神戸は三宮までしか行ったことがなかったんですよね。東京にオフ会のために行ってしまう人たちをみて。。。。すげぇーって思ったのでした。田舎民でもコミケに電車賃かけて参加する人たちやアイドルのツアーに参加する人たちも同じような感じなのかもしれません。私は素直にすげぇーなと思って行動範囲を広げよう、いつも重い腰があがらないような人間なんだけどフットワーク軽くしたいとこの時は思ったと思います。

最初に東京に行ったのがある人に誘われていったんですけど。でも東京のオフ会の為に行ったのかな?観光した記憶がないので。。。元々その彼が金沢文庫に実家があってそこに泊まらせてもらったと思う。行きはどうだったっけな?一人で18きっぷ使って行ったのかな?帰りは一緒に帰ってきたけど。。。。オフ会は女子2人組と渋谷のモヤイ像で待ち合わせてもんじゃ焼きを食べた記憶があるそのあと、カラオケ行ったんだっけな。それとは別にオフ会も行ったんだっけな。過去日記を漁っても全く出てこないので消してしまったのかもしれん。たぶん2002年やと思う。浜松にもネット友達がいたので東京に行く時には毎回、浜松によってから行ってたと記憶している。

金沢文庫から東京へ朝に電車に乗っていくわけやん。私は通勤が苦痛で仕事が嫌だったってのもあったんやけど。。。東京の人の満員電車ってそれを越えてたんよね。この人達。。。これで1時間くらい耐えて毎日通勤しているんだって思ったら。。。東京に住んでいる人達って素直にすげぇーって思いましたね。青春18切符の存在もこの頃に知ったと思います。聞いたことはあるけど学生が使える割引切符だとそれまで思い込んでいましたし。。。ほんとみんな当時は青春18切符をよく使って移動していましたね。で、時刻表ですよ。時刻表なんて時刻表マニアが持つものって思ってたのがこの頃は買って持ち歩いてたもんな。駅スパートみたいなものもスマホないからパソコンでは出来るけどそれをプリントアウトして持ち歩くみたいなそんな感じだったかな。それだと突発的には動けないので時刻表を旅行の時は常に持ち歩いていました。嵩張るのにね。【2022.9.6】

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自分の歩んできた道を振り返る【幼少時代】



私はweb上で自分の日記を2001年から書き始めました。

途中で親バレした為に日記からブログに移って日々の事をかれこれ17年くらい書き続けています。何故?私がブログを書き続けているのかの理由を今回は書こうと思ったのですが、その前に書かなければいけない事があります。自分のこれまでのことを振りかえる作業です。長くなると思いますが。。。お付き合いください。振り返ることによって、どうして私がこんな風な人間になってしまったのか?という問題が浮き上がってくると思うので、今回はそのことについて書いていこうと思います。

私は小さい頃から体が貧弱で内向的な子供でした。 内気で人見知りが激しく集団生活に適応できない子供、典型的ないじめられっ子体質っていうんですかね。でも奇跡的にいじめられた事はないんです。友達関係はどうだったんだろう?小学校の頃は、グループの端にちょこんと加わってる程度の影の薄い存在でしたね。両親はのちに私を手のかからない子供だったと言っていました。

逆に妹は手のかかる子。私の経験上、長男、長女ってダメ人間になる可能性が高いように思うんだけど。。。お兄ちゃんなんだからとか、小学生にあがったんだからとか、高学年なんだからとか、中学生になったんだからとか。。。。そういう言葉あるじゃないですか。私は忠実に守っていたように思う。お兄ちゃんなんだからわがまま言っちゃいけないみたいなね。自分自身で自我を縛り付けていたと思うんですよね。今の私からしたら中学生だったとしても子供ですよね。子供なんだからあの時、好きなこと好きな振る舞いをすればよかったんですよ。そんなもの子供なんだからで、すまされていたんだからさ。そういうふるまいをしないまま大きくなると何も出来ない人間になる。私のように。。。。

自分の意見を言えない。

例えば学校で先生が質問したとしてその答えが分かっていたとしても手を上げることが出来なかった。人前で何かモノを言うのが出来なかった。もし間違っていたらと。。。。失敗を極度に恐れるような子供だったんですよね。恥ずかしい行為が出来ない。子供なんだからバカなことをしてもいい存在なのにそれが出来ない。そんな子供でした。友達関係は、その時は普通だと思っていた。でも普通の人は学生生活でコミュニケーションとかを学んでいたりしたんでしょうね私はそういうことをしなかった。金魚のフンのように人についていくだけそれだけの存在でしかなかった。

【中学生時代】

中学生時代が私のピークだったと思う。学校に行って、部活して、塾に行ってそうやって三年間が過ぎていきました。平日は、授業があって終わったら部活して家に帰ってから塾に行ってその繰り返し。日曜日も部活があったり、夏休みなどもそこそこ部活があったりした。勉強もそんなに頑張ってなかったけどそこそこ出来ていたしね。

充実していたとは言わないけどこれが普通だと思って過ごしていた。でも今、振り返ってみると頑張ってたな自分って改めて思う。こんなに三年間という月日を毎日いろいろな事をした事なんてこれ以降はないんだからさ。友達関係的に言うとちょっと自分はおかしいと異変に気づく。でも当時はそこまで深刻には考えていなかったんよね。【2018.9.10】

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自分の歩んできた道を振り返る【高校時代】



自分にとって高校三年間の思い出なんてない。

どうやって三年間を過ごしたかも覚えていないくらい。

空白の三年間。

一番大事な時期なのに私には何もないのだ。



高校は地元の公立高校にいく。自転車通学。中学校までは普通だったのに。。。高校になると遅刻が多くなる。自転車でギリギリに登校し、そして授業が終われば速攻で帰る。部活にも入らず、バイトもせず、家で勉強もせず、休みの日にこれといった事もせず、長期の夏休みなどの休みも。。。結局、なにしていたんだ?どうやって時間を潰していたんだ?それすら今となっては分からない。ほとんど高校時代の記憶がないのだ。おそらく家で一人でテレビみてゲームして寝て時間を潰していたんだと思う。何か趣味があるわけでもなく、一人でなにかするわけでもなく。ただ無為に時間を潰していた。高校入学当初の実力テストでは成績は50番以内に入っていたのに、高校三年の終わりには500番台に落ちていた。高校三年間で怠慢癖だけがついた。

中学生の頃は机に座って長時間、勉強する事は普通だったのに、学校の授業を聞くのだって普通に出来たのに。。。高校では机に座ることさえ苦痛になり出来ない。授業もうつ伏せで寝てちゃんと授業を受けれない。こういう高校三年間を過ごすと成績は落ちるし高校卒業後の現在に至るまで勉強そのものが出来ない体になる。勉強するという行為すら出来ないんよ。まじで。よくうちらは第二次ベビーブームの年代なので受験の倍率は高かって大変やったっていうやん。でも私の場合は倍率が高かったから大学にいけなかったわけではない。勉強がそもそも出来なかったんよ。

どっか受かったでしょ?って言われることもあるけど、どこも受からなかった。ほんとそういう次元じゃなかったんよ。高校卒業時に、中学時代に自分よりも頭の悪いヤツが私立高校に行って有名大学受かったというのを聞いて私も私立行ってけばよかったなーって思ったのもあとのまつりでした。

高校三年間で私は腑抜けになっていった。

だらけた生活、人と接しない学生生活。

高校になって改めて人とコミュニケーションがとれないことに気がつく。二人っきりになると会話が出来ない。何をしゃべったらいいか分からない。ある子に遠足のバスの席決めで一緒に座ることになって「くらげと二人っきりになるの怖い」ってみんなの前で言われたことも今になってはいい思い出だ。

それからは二人になる場面になるとわざとトイレにいき一人になるようになった。この頃に便所飯も経験した。将来の夢や自分のやりたい事などこの頃は全く考えなかった。何の根拠もなく普通にやれると思い込んでいた。趣味もなく毎日だらだらと時間を浪費していた。周りの子がバイトしている時も私は部屋で寝ていた。周りの子がバイクの免許をとりに行っている時も私は何もせずに部屋で寝ていた。周りの子が部活で頑張っている時も私は部屋で寝ていた。そして高校時代の思い出なんて何も作ることが出来なかった。自分の学校でもカップルが一緒に登下校しているのも見ていた。女子のグループや男子のグループがキャッキャしているのも見ていた。夏休み明けに教室にいくと日焼けしたクラスメイト達。。。。なんやかんやクラスメイト達は青春をしているようだった。

でも自分は何もしなかった。

高校卒業して5年後くらいに「ときめきメモリアル」という恋愛シュミレーションゲームをプレイしたんよ。三年間を使って部活したり勉強したりいろんなパラメーターをあげつつ女子と仲良くなってデートして、各種のイベントをこなして最後は伝説の木の下で告白されるゲーム。私にはゲームしょっぱなに声をかけてくれる好雄(男友達)すらいなかった。何のパラメータもあげずずっと体力回復コマンドを押し続けたら三年間が終わったって感じだ。中学、高校の6年間で女子としゃべった事なんてない。挨拶くらいなものだ。ほんと。。。高校時代、僕は何をしていたんだろうな。【2018.9.10】

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自分の歩んできた道を振り返る【浪人・専門学校時代】



前フリが長い。

このまま書き続けていいものだろうか?浪人時代、専門学校時代が続くんだけど。。。。特に何もない。無駄な時間が高校の延長で続く。浪人すれば大学に受かると思っていたので浪人したものの結局、勉強はしなかった。予備校もほとんど通わず夏が終わった頃に大学に行く事を諦めた。よく大学にさえ行っておけば人生は変わったと自分でも思う。この大事な時に勉強して大学さえ行っておけばと。

だからといって、もし戻れるんならこの時期に戻りたいですか?って言われたら戻ることはしない。だって戻ったとしても確実に勉強なんてしないと思うからね。でも大学コンプレックスはひどい。自分がコンプレックスに思ってることって、体が貧弱なことと大学に行けなかったことだと思う。

未だに年に何回か見る夢が浪人時代の夢なんだよね。時は現代の夏頃、今だと44歳の私が受験勉強しているのよ。44歳で受験ってなん浪しているのよ!って思うんだけど。。。同級生達がもちろん大企業とかで働いていて子供までいるんよ。その子どもたちに混じって私だけエンドレスで受験の夏を何度も過ごしているのよ。そして。。。もうこのままでは間に合わない!!って思うところで目が覚める。体は汗だく。今思い出してもこの夢だけは怖い。

もうひとつ見る夢は仕事の夢。

仕事でボロカスに歴代の上司とか先輩に罵られる夢。私の見る夢の二本柱がこんなのだ。普通に怖い。起きたら汗だく喉からから。

ああああああ!

【浪人時代、専門学校時代】

高校三年からの延長、なんの思い出もない。それでも何の根拠もなく普通に仕事は出来ると思ってたんよ。私の小さい頃の夢がサラリーマンだったのよ。普通に背広着て普通に仕事して結婚して家庭作って子供を育てて人生を全う出来ると思い込んでいたのよ。女性ともまだしゃべった事もなかったけど、日曜日に関西圏だけで放送されていた「紳助の人間マンダラ」って番組があってその中に「もてない君」っていうコーナーに出てくるもてない君を見ながら。。。さすがにここまではならないだろうって思いながら見ていたのよ。

今が学生やけど仕事したら彼女出来るやろうって何の根拠もなしに思い込んでいたんよ。この年令で毎週日曜日の昼間に家でこの番組を見ていたことじたいがやばいのだけども。土曜日のスラムダンクもリアルタイムに見てたし。。。ほんとずっと土日は家におったからな。TBSの芸能人オールスター感謝祭って今でもやっているやん。あれってさ。当時、芸能人ってなんでこんな簡単な問題、分からないんだろ?アホすぎるやろ!って思ってたんよ。私は、全問とは言わないけど95%は正解していたからさ。でも今はテレビを見ない生活をしているねんな。そしたらたまに実家に帰った時にあの番組を見てたら出てくる問題に、全く答えられなくなってるんよね。あの番組の問題って家でずっとテレビ見てる人は答えられるのよ。逆にテレビみないような忙しい人は答えられないんよね。

そして就職する。

時は就職氷河期。普通は早い時期に就職活動をはじめるのよ。にもかかわらず私はやらずギリギリになって就活をして内定ひとつとったらそれでやめてしまった。これは今も変わらないんだけど、ひとつ決まったらもう次探すのがめんどくさくなってさ。やる気がなくなるんよね。それで何度も失敗しているんだけど。内定貰ったのに断る人っているやん。ほんま、そういう人って凄いと思うよ。【2018.9.10】

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自分の歩んできた道を振り返る【ダメ正社員時代】



正社員9ヶ月

無職半年

正社員1年10ヶ月


そして・・・・引き篭もりがひとり誕生した。

働くことが大変なことだと働き始めて初めて知りました。小さい頃から父親が朝から晩まで働いていましたが凄いことだったんですよね。自分が働いてみて初めて知りました。子供の頃に自分の周りで転職なんかする人なんていなかったしひとつの仕事をずっとしている人ばっかりでした。もしかしたら私が知らないだけでいたのかもしれないんだけど。。。

働き始めて無能の烙印を押されて、職場にうまく溶け込めなくて自分は社会ではやっていけない人間なんだってこの三年間で理解しました。父や母は凄かった。学生の時はそんなこと思ったことなかったのに働き始めて私の両親感が180度変りました。今思えば勤労というものを舐めてた。学生の頃にバイトをしていたらもう少し順応出来ていたかもしれない。何をやっても怒られるし失敗する。賃金分の仕事をしていない事も理解していた。毎日の労働に忙殺されて休日は体を休めるだけになった。実家が田舎なので通勤時間が往復で3時間はかかってるのもあった。体がついていかない。先が見えない。仕事が出来るようになるとも思えない。

自分は出来ない人間。無能な人間。

人と会話をすることも出来ないし、そして孤立した。

学生の時なら孤立しても平気だったんだけど。

職場では孤立すると即、死を意味する。


2つ目の会社で1年10ヶ月目に上司に肩たたきにあう。言われた言葉が「仕事が出来る人間ならコミュニケーションが下手でも自力でなんとかやっていける。仕事が苦手でもコミュニケーションがとれるなら誰かに教えてもらったりフォローしてくれるだろう。でもお前は仕事も出来ないしコミュニケーションもとれない。逆に職場の雰囲気が悪くしている。うちの会社にはいらない。」薄々は気がついていたんだ。でもそういう問題から目をそむけていたんだ。だって私っておかしいもん。普通じゃなかったんだもん。人と会話出来ない。世間話が出来ない。仕事が出来ない。ミスをする。分かってたさ。この言葉で自分は社会では通用しないんだって理解した。そして会社に退職願いを出して家にひきこもった。2000年の春【2018.9.10】

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自分の歩んできた道を振り返る【ひきこもり時代に自己分析】



私がブログを書く理由。

もう少しだけ待ってください。近づいてきました。仕事を退職して家にひきこもります。親には資格の勉強をすると言って、でもそんなの方便です。社会に戻るのが怖かったんです。何もしたくなかったんです。三年間働いた貯金がありましたしね。このひきこもり時期に自分のこれまでの人生を分析しました。今まで書いてきたようなことです。普通の人は学生生活時に人との会話やコミュニケーションのスキル、人との接し方などのスキルを会得していたわけです。私は集団生活で必要なスキルを伸ばそうとはしませんでした。その結果がこのざまです。

人と話せない。友達もいない。家族とさえそんなに会話ができない。世間話すら出来ません。何の趣味もないので話題もない。だからといって自分一人で何か出来るか?といえば何もできません。一人では何も出来ない人間なのです。羞恥心もあってバカにもなれませんし、冒険も出来ません。自分一人では何も出来ない人間になってしまっていたのです。

このひきこもってた時期は26歳くらいだったと思うのですが、この時まで、ファミレスに行った事ありませんでした。小さい時に親と行ったことはありますよ。でも16歳以降で行ったことなかったんです。一人でいけませんから。。。。喫茶店もないです。かろうじて吉野家、マクドくらいはあったかな。映画館も小さいころに親とドラえもんを観にいったっきり。カラオケもない。ボーリングもない。ゲーセンもない。CDやビデオレンタルもしたことない。音楽も興味ないのでほとんど知りません。旅行だって西は小学校の修学旅行の広島、東は中学、高校の修学旅行の長野まで。というかこれ以外で近畿から出たことない。今考えると修学旅行以外だと東は京都河原町、西は六甲くらいだったと思う。

もちろん海水浴もいくことないし、スキーもない。

一人でそんなのいくことない。

ほんと何も出来ない人間だったのです。

経験値が低すぎますよね。

ほんと何も出来ない人間。

怖くて何一つ自分で出来ない人間。


学生の時は、学校と家の往復でした。会社員時代は、職場と家の往復でした。それ以外には何もなかったです。休みの日に何かあったわけではないです。ずっと家にいました。でも学生の時は学生という身分があり、会社員時代は会社員という身分があったんです。一応、自分がいる場所があったんですよね。

社会との接点があったんですよ。でもそれがなくなって無職になってひきこもってしまうと社会との接点が何もなくなってしまいます。元々プライベートがゼロなんだから無職になったら何もなくなるんですよ。自分は誰にも繋がっていなく何者でもなく、そして自分から何かするわけでもなくそんな存在。それが私なのです。このまま生きる価値あるのかなって。生きる意味あるのかなって。そんなことを考えていました。 あれ?長くなっていますけど、まだ続きます。【2018.9.10】

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自分の歩んできた道を振り返る【ひきこもり時代】



私の中では2000年のひきこもりした年が自分史元年だと思っています。

それまでは自分で自分が分かっていませんでした。何の根拠もなしにずっと普通にやっていけると思っていたんですからね。孫子の兵法で「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」という名言があります。今まで自分のポンコツさを理解しなさすぎたのです。自分の中の問題を無視して時間の流れに身を任せてきたそりゃ溺れますよね。

2000年で開眼したわけではないです。自己分析はしたけどこんなスペックで生きていけるとは到底思えませんから。私が引き篭もってた時に何をしていたかというとインターネットをしていました。2000年からパソコンを購入してインターネットをひいてメールとかチャットとかしていたんですよ。時はダイアルアップ!田舎なのでテレホーダイとテレチョイスを使っていました。午後11時から午前8時まで定額料金なので。。。私は完全に昼夜逆転して夜中から朝にかけてずっとチャットしてたわけです。でも相手は普通に働いている人かもしれない。相手にどんな仕事をしているの?って聞かれたら前職を答えていました。

なのでずっと同じ場所でチャットをしていると変な人と思われるので、時間帯ごとに移動していました。チャットってリアルタイムってわけじゃないじゃないですか、タイムラグがあるのでそこそこうまくいくんですよね。会話だと全くダメなのにチャットだとそこそこやっていける。夢中になりましたよ。毎日のように午後11時から午前8時までチャットしていましたからね。そのうち仲良くなるとオフ会しようという話になります。でも困るじゃないですか。。。リアルタイムにあうなんてさ。チャットではしゃべれるけどリアルタイムだと、しゃべれないんだから。。。なのでそのつど断っていました。なのでその時にオフ会という存在を知ったわけです。

チャットをしていると、個人的に簡易チャットで話すこともあります。最初はICQ、そのうちMSNメッセンジャーとかでね。そしたら相手が突然、打つのめんどくさいので通話しない?って言ってきたんですよ。

女性ですよ。えええええええ!じゃないですか。女性と通話なんて。。。午前4時くらいに女性と通話したんです。ほとんど女性とまともにしゃべるなんて始めての経験ですよ。今まで生まれてから挨拶くらいしかしたことないのに、女性と通話ですよ。2つ下の大阪の子。

「あんなー」って。。。また大阪弁が可愛い。声も可愛い。しゃべっただけで惚れちゃいますよね。いや。惚れました。会話なんて大丈夫かな?おかしくないかな?一年くらい人としゃべってないのに大丈夫かな?と思いましたがなんとかその日はしゃべれました。あのドキドキ感は今でも忘れられません。


ひきこもってた時期にインターネットと出会いこれは大きかった!これがなかったら僕はこの世にすでにいなかったかもしれません。しかし斎藤環も古いよね。私がひきこもってた時期からおったからなあ。ニュースタートは1998年くらいからやし。ちなみにこの時期は、籠城、佐々のページ、ぱぴさんのページ、対人恐怖症のページ、2ちゃんにいたよ。 それ以外はいろんなチャットですかね。メンタルサイトが多かったですかね。【2018.9.10】

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名前:くらげ
2015年にセミリタイア
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